第33例 左室肥大と誤られた正常心電図

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第33例
症例::23歳、男性
臨床的事項:循環器系の自覚的愁訴はない。BMI:22。 理学的所見、尿所見:正常。血圧134/78mmHg。 定期健康診断で診断で心電図を記録 し、添付fileのような心電図を得た。
下図は本例の心電図である。健診施設担当医はこの心電図を[左室肥大」 と診断した。

質問:
  1.リズムは?
  2.QRS軸は?
  3.この心電図を[左室肥大]と診断した健診担当医の心電図診断は妥当であるか?
  4.心室肥大の4つの基本的心電図所見とは?
  5.心電図による左室肥大診断基準について述べよ?
  6.この心電図についての貴方の診断は? ****************************************************************

第33例解説

1.リズムは?  
  PP間隔0.72秒(心拍数83/分)の正常洞調律(ordinary sinus rhythm)です。

2.QRS軸は?  正常軸です。

3.この心電図を[左室肥大]と診断した健診担当医の心電図診断は妥当であるか?
  心室肥大と診断する際には、必ず肥大を起こす基礎疾患の有無について検討しない といけません。最も頻度が多い左室肥大の基礎疾患は高血圧です。その他、大動脈弁膜症、スポーツ心臓なども左室肥大の基礎疾患となります。このような基礎疾患がな い例に、単にQRS波の高電圧のみに基づいて心室肥大の心電図診断を下してはいけま せん。  

 明らかな基礎的心臓疾患がなくて心肥大を起こす病気に「特発性肥大型心筋症」が あります。しかし、この場合は、単にQRS波の高電圧のみならず、ST-T変化(QRS-Tベクトル夾角の拡大、Tベクトルの前方偏位など)や、QRS波の変化(極めて著明な高電 圧、心筋梗塞類似波形など)を示します。

 本例は血圧が正常で、理学所見も正常で、左室肥大を起こす基礎疾患の存在はあまり考えられません。このような例にQRS波の高電圧のみから「左室肥大」と診断することは厳に慎むべき事です。

  我が国の市販されている心電図教科書に、心電図的左室肥大診断基準として Sokolow-Lyon基準 (RV5(6)+SV1≧35mm) を用いるように薦めている書物がかなり多く ありますが、これは明らかに誤っています。単に誤っているだけでなく、「正常」な人を「左室肥大」と誤って診断し、「心電図性心臓病」患者を作るという犯罪を犯しているとも言えます。 

 本例は、高血圧などの左室肥大を起こす基礎疾患がなく、若年者でもあるから、左室肥大の心電図診断基準としてはRV5+SV1≧50mmを用いるべきであり、この基準を適用 すると「正常心電図」と判定されます。また、QRS波の電圧が少し高い以外には、心室肥大の際に見る他の心電図所見をが全く認めないことも、この心電図を左室肥大と診断してはならないことを示しています。

  4.心室肥大の4つの基本的心電図所見とは?
  心室肥大の4つの基本的心電図所見とは下記の4項目です。
  
1) QRS波の高電圧;
  
2) ST-T変化:
   心室肥大の際にはQRS-Tベクトル夾角が拡大し、QRS波が高く陽性の誘 導ではT波が陰性になります(左室肥大高度の場合)。心室肥大時のST低下は特徴的 波形を示し、「ローラーコースター効果」と呼ばれています。

  下図は、ST低下の諸型を示します。この図のなかのB図が「肥大型ST低下」と呼ばれ、 左室肥大の際の典型的ST低下パターンです。まずST部が上方凸のST低下を示し、次いで−/+型 の二相性T波の陽性相に移行し、それに続いて著明なU波に移行します。このように 波形が緩やかに波状に上下し、ローラーコースターに似ているために、肥大型ST低下所見は「ローラーコースター型ST-T変化」と呼ばれる場合もあります。

  3) QRS間隔の拡大、肥大側心室誘導における心室興奮時間の遅延:これらの所見は、脚ブロックの場合ほどは著明でないことは勿論です。
  
4) QRS波の波形の変化 :左室肥大の場合は、QRS軸の左軸偏位、胸部誘導移行帯の左方への偏位(心臓長軸 周りの時針式回転)、標準肢誘導における左肥大型変化、などの所見が認められま す。

 5.心電図による左室肥大診断基準について述べよ?
  Sokolow-Lyon基準を日本人の左室肥大診断基準として使用するのは適当でなく、 徳島大学第二内科では下記の基準を用いることを奨めます。  すなわち、下記2基準の何れか1つを満たす場合に左室肥大と診断します。
  1) RV5(6)+SV1≧40mm (30歳以下の男性では50mm)
  2) R1+S3≧20mm   

 これらの基準値は、日本人正常値の95〜98percentileに基づいて作成されていますので、偽陽性率が2〜5%あることに留意しなくてはなりません。  重ねて強調しておきますが、この基準を用いる場合も、左室負荷を起こす基礎疾患 がない場合に、単にQRS波の高電圧に基づいて左室肥大と診断するには、極めて慎重 でなければなりません。


 6.この心電図についての貴方の診断は?
 あなた方は、この心電図をどのように診断されましたか?
 この心電図を記録したのは、徳島市内でも代表的な総合病院の1つですが、2年間にわたり、正常例を「左室肥大」と誤って診断してきました。全く心臓に異常がない若い人に「左室肥大」があると誤って診断し、精神的苦痛を与えていたことになります。

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