第1116例 Brugada症候群のキニジン少量内服治療

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症例:38歳、男性
主訴:心電図異常
病歴:バイク転倒により左脛骨骨折を起こし、ルーチン検査の一環として心電図を記録し下図に示す心電図を得た。この心電図の診断は?また今後どのように対応するべきか?(病歴には多少modifyを加えた)

解説
 本例は、骨折により整形外科に入院し、その際のルーチン検査の一環として記録した心電図に軽度の異常所見を認めたため、循環器内科に紹介された患者さんです。下図-1に この心電図の解説図を示します。心拍数75/分の正常洞調律で、QRS軸は正常軸です。肢誘導心電図に異常はありませんが、胸部誘導V1のJ点およびST起始部が上昇し、J点上昇およびST部の経過は軽度のcoved型Brugada心電図の印象を与えています。またV2でもJ点およびST上昇が著明です。しかし、この程度の変化は正常でも見る可能性があり、見逃す場合も多いと思います。

 循環器内科医は上記の所見に注目し、ピルジカイニド静注負荷試験を行っています。生理食塩水点滴静注と静脈ルートを確保した後、ピルジカイニド
60mgを10分間かけてゆっくり静注し、経時的に心電図を記録しました。ピルジカイニド静注開始直後から1肋間上方のV2対応誘導に下図-2に示すような典型的なcoved型Brugada心電図が出現しています。しかし不整脈出現はなく、30分ほどの経過でST上昇度は軽くなったとのことです。このような
所見から、循環器内科担当医はBrugada症候群と診断し、心臓電気生理学的検査(EPS, electrophysiologic study)の必要性とこの検査に伴う諸種の合併症を患者に説明し、家族で話し合ってもらうよう要請しました。

 以上が本例の概要です。本例は私たちにいろんな問題を提起しています。以下、それらについて解説します。
 1. 図1の心電図は、一見、正常のように見えますが、このような例では、必らずV1-3の通常記録に加えて, 1-2肋間上方でのV1-3対応誘導心電図を記録する必要があります。更に臨床的に失神など、Brugada症候群を疑わせる症候がある例では。ピルジカイニド静注負荷試験などの薬剤負荷試験の実施を考慮する必要があります。

 2,薬物負荷試験でcoved型が出現した場合薬剤負荷Type 1)の臨床的意義は、薬剤負荷を行わない状態でcoved型を示す場合自然Type 1)
同様の臨床的意義があり、Brugada型心電図の診断が確定します。しかし、一般診療所における外来検査としてピルジカイニド静注負荷試験を行うことは、頻度は多くはありませんが心室細動などの危険な不整脈が出現する恐れがありますから勧められません。必ず循環器専門病院に紹介して実施してもらうことをお勧めします。 一般診療所では、以前にこのMLで紹介したβ角度の測定や、r'△の頂点から下方5mmにおける底辺の長さの測定を行う方法をお勧めします。この方法の感度および特異度は、薬剤負荷試験に対して共に80%前後と高いため、是非試みるべき方法です(ML第963例, 第1013例、第1038例参照)。

 3.問題は、「それからどうするか?」ということです。本例では病歴に失神が記載されています。しかし、失神はただ一度あっただけで、またどのような失神であるかが全くカルテに記載されていません。失神で最も多いのは迷走神経性失神で、これを鑑別除外する必要があります。

 4. 循環器内科担当医は次のステップとして、EPS(心臓電気生理学的検査)実施のために入院精査することを勧めています。担当医は、もしEPSが陽性の場合、すなわち右室心尖部ないし流出路で連結期を短くした期外早期電気刺激の単発ないし連発により、多型性心室頻拍ないし心室細動が誘発された場合は、植えこみ型除細動器(ICD)の植え込みを意図していると思われます。

 しかしながら、本例での治療選択で最も大切なことは、EPSで多形性心室頻拍ないし心室細動が誘発されるかどうかではなく、「失神」の評価です。失神で最も多い迷走神経起因失神を除外できかどうかがカルテの記載からは明らかでありません。どのような状況下で起こり、持続がどの程度で、その際の患者の状態がどうであったかなどは心臓起因失神と心外性起因失神の鑑別に必要です。

 現在では、EPSを実施して心室細動が誘発されたたとしても、従来の考えとは異なり、それだけでICD 植えこみ適応とするのは不適切と考えられるようになってきました。またいくつかの研究では、EPSはBrugada症候群の予後評価に役立たないことが報告されており、EPS実施は意味がないと思います。

 Viskinらは世界的規模の無症候性Brugasa症候群の無作為前向き調査実施開始とこの研究への参加を呼びかけた論文の中で以下のように述べています(Heart Rhythm 2009;6(3):401-404)。

 1)  EPSで心室細動が誘発可能な無症候性Brugada症候群で、自然経過中に心室細動を起こす頻度は1%に過ぎない。
 2) EPS陰性例での心停止の頻度は1-2%である。
  3) 健康者でも、EPSの際に3連発期外刺激を行うと6-41%の高率に非持続性多型性心室頻拍が出現し、EPSの継続実施を中断せざるを得なくなる。
  4) Brugada症候群でのICD 植え込み後の合併症出現率は28%と高率である。これらの合併症としては、ICD再置換、リード故障、感染、不適切放電(心房性不整脈、T波過剰センシングなどによる)などがある。

  1) については, 1%という数値は低率ですが、それが心臓性急死に関連するため、軽視することはできません。そのためには、患者および家族に現時点における本症候群の治療についての考え方やICD植えこみにより起こり得る高率の合併症、ことに不適切作動の高率発生について説明し、意志決定の参考に供することが大切です。ただBrugada症候群の際の多型性心室頻拍はtorsade de pointes(TdP)の形をとり、自己収束的傾向を示し、自然停止する場合が多いことも考慮に入れる必要があります。

 現時点では、前向き無作為研究対象について立証されたBrugada症候群の心臓性急死予防に有効な治療法はICD植え込みのみですが、近年、キニジン内服(硫酸キニジン、水酸化キニジン,二硫酸キニジン)が一過性外向き電流を抑制し、phase 2 reentryを起こり難くし、EPSにおける多型性心室頻拍出現や経過観察中の心室細動およびそれに伴う急死予防に有用であるとする知見が多く発表されるようになりました。

 Brugada症候群の際には、心室細動が頻発しelectraical stormと呼ばれる極めて危険な状態に陥る場合があります。electrical stormは一般的に下記のように定義されます。
 1.心室頻拍あるいは心室細動が頻発し、24時間以内に植えこみ型除細動器が3回以上作動する状況、又は
 2.心筋梗塞症の場合には、5分以上持続する心室頻拍あるいは心室細動が24時間内に3回以上出現する状況をいう。

 electrical stormの急性期治療としてまず行われるのはイソプロテレノール点滴静注で、同時にキニジン内服によりその再発予防を図ります。従来、その際のキニジン投与量の設定のために、EPSガイド下キニジン治療」という方法が行われ、その有効性が報告されてきました。すなわち、一定量のキニジンを内服させて血中濃度が恒常状態に達した時点でEPSを実施し、多型性心室頻拍ないし心室細動を抑制することができれば、その際のキニジン
投与量を適量と見なして継続して内服させる方法です。

 しかし、このEPSガイド下キニジン内服治療は、心室細動を起こし得るEPSを何度も繰り返して実施しなければならず、患者にとっては著しく精神的・身体的負担が強い方法です。しかも近年、EPS検査はBrugada症候群の予後評価に役立たないことがいくつかの研究で指摘され、このような治療法の有用性は疑問視されるようになってきています。

 Brugada症候群に類似した疾患に、同じく遺伝性不整脈に属する先天性QT延長症候群があります。本症は遺伝子変異により起こり、心室細動による
心臓突然死を主徴候とする点ではBrugada症候群と同じですが、治療法の第一選択はICD植え込みでなく、βブロッカー内服です。これが無効な場合にICD植えこみが考慮されます。

  Brugada症候群と先天性QT延長症候群は類似した疾患ですが、このように治療法が根本的に異なるのはどのような理由によるのでしょうか?この疑問に対してViskinらは、LQTの治療が問題になったのは、ICD治療が一般化する以前であったためであり、他方、Brugada症候群の概念が一般化した頃には、すでにICD治療が普及していたためであると推論しています。またβ遮断薬は一般的な副作用が少ない薬剤であることも関係していると思われます。

  現在知られているBrugada症候群の治療に有効な薬剤としてのは、イソプロテレノール、シロスタゾール、キニジンがあります。これらの内、イソプロテレノールは多型性心室頻拍/心室細動などが絶え間なく頻発するelectrical stormの際に静注により用いられます。シロスタゾールはキニジンに比べると効果は著しく劣ることが知られており、Brugada 症候群の治療に用い得る可能性がある薬剤は現時点ではキニジンのみです。

 Viskinら(2009)は、キニジンがBrugada症候群の治療に有効性が期待できる理由として下記の諸点をあげています。
 1) Brugada症候群の実験モデルであるイヌの心室筋楔状標本の還流実験で、キニジンは第2相リエントリーと心室細動出現を予防する。
 2) キニジンが右側胸部誘導の典型的なBrugada型心電図波形を正常化した例が報告されている。
 3) EPSによる心室細動出現をキニジン内服は予防できることがEPSガイド下キニジン経口投与により立証されている(76-88%)。
 4) イソプロテレノール静注により電気的ストーム状態の急性期から脱出した後、多型性心室頻拍/心室細動の再出現の防止にキニジン内服が有効である。
 5) 無作為研究におけるキニジン投与例の長期観察で、高リスクBrugada症候群での不整脈出現をある程度予防できる。

 使用するキニジン製剤としては、欧米の諸報告では水酸化キニジン、2硫化キニジンを用い、投与量としてはICDガイド下治療で主として用いられていたため、個人差が著しく、中にはかなり高用量(二硫化キニジン1000-2000mg;Belassenら,1999;Mokら,2004)が投与されていますが、近年、低用量でも有効であるとする報告がなされています(硫酸キニジン300-600mgMizusawaら,2006;hydroquinidine 600mg,Hermidaら,2004)。

 我が国で発売されているキニジン製剤は硫酸キニジン(ホエイ、ファイザー)のみですが、投与量として1日300-600mg程度であれば十分長期使用に耐え得ると考えられます。キニジンの副作用として能書に記載されているものは下記の如くです。
 1) 重大な副作用
  a) 高度伝導障害、心停止、心室細動
  b) 心不全
  c) 無顆粒球症、白血球減少、再生不良性貧血、溶血性貧血
  d) 血小板減少性紫斑病
 2) その他の副作用
  a) 精神・神経系;めまい、頭痛、耳鳴、難聴、視力障害、復視、羞明、色覚異常
  b) 化器;悪心、嘔吐、腹痛、下痢、食欲不振、
  c) 肝臓;黄疸など
  d) 過敏症;発疹、発熱、脈管性浮腫、血圧低下、光線過敏症

 能書には副作用が上記のように列挙されますが、通常は、下痢、白血球減少、肝障害、QT間隔延長の4点に注意すればよいと思います。またキニジンの副作用発現は、必ずしも用量依存性でないことも指摘されていますから、最初まずテスト内服として0.2gを服用させ、副作用が出現しないことを確かめてから、通常用量を投与するというステップを踏むことが必要です。

 下表-3Hermidaらが行った長期間の硫酸キニジン少量持続内服(1日300-600mg)が有効であった6例での成績を表記して示します。これらの6例はすべていわゆる有症候性Brgada症候群にICD植え込みを行い、ICD作動が起こるような不整脈の出現を少量のキニジン持続内服(1日200-600mg)が防ぐことができるかどうかを検討した成績です。6例中4例は電気的ストーム状態で心室細動ないし多型性心室頻拍が反復出現した例です。また他の2例は心室細動による心停止からの蘇生例および非持続性心室頻拍多発例です。

 これらの全例で、急性期を切り抜けた後に、経口キニジン少量の持続内服治療を行い、発作の再発を起こすことなく、順調に経過しています。注目するべきことは6例中3例では発作が起こらなくなったためにキニジン内服を中断したところ、3例全例で不整脈出現が再発したためキニジン内服を再開し、以後は再び不整脈出現が抑止されたことです。このことは少量キニジン持続内服の有効性を立証しています。

 しかし、一般的にはキニジン内服のみでは全例で心室性不整脈の出現を抑止できない点が問題です。Hermidaらは自験例(6例)に文献例14例を加えて、キニジン少量内服治療の効果を集計した成績を示しています下表-4)。この成績によりますと、20例中3例(15%)ではキニジン内服中にもかかわらず、心室性不整脈の再出現を認めています。しかし、85%において少量キニジン持続内服が有効であったことは注目するべき成績であると考えられます。

 以上の現時点でのBrugada症候群の治療成績を考慮に入れて、本例の今後の対応をどうするべきかという本来の問題に立ち返って考えますと、次の諸点が考えられます。

  1) 本例の「めまい」が心臓起因の可能性が高いかどうか?
 もし心臓起因めまいの可能性が低いか、あるいは原因不明の場合は、本人および家族にBrugada症候群とはどのような疾患で、その治療法の現況について詳しく説明した上で経過を観察する。この際、ICDについては、その効果と共に高率に出現する煩雑な合併症についても詳しく説明しておく。
 2) もしこの失神発作の原因として心臓起因が濃厚な場合は、Brugada症候群およびその現在行われている治療法の利害得失について詳しく説明した上で、下記の何れかの治療法を選択してもらう。
  a) 低用量の硫酸キニジン持続内服、
  b) CD植え込み+低用量硫酸キニジン持続内服
  この際、Brugada症候群の際に出現する心室頻拍は自己収束的な場合が多いが、そうでない場合もあり得ること、ICD植えこみについての利害得失
について十分に詳しく説明しておく。いずれにしても心臓電気生理学的検査は行わない。
 3) 家族に蘇生法について詳しく説明しておく。
 4) ホルター心電図で右室基部起源の期外収縮出現(下図-5)の有無を確かめるために、期間をおいて数回ホルター心電図を記録する。
 5)熱、薬剤などのBrugada症候群悪性化因子(下図-6,7)を避けるように生活上での注意を与える。

 以上、Brugada症候群の治療について、第1116例の治療方針決定過程に関連して説明しました。

 付記
 1)右室流出路起源の心室性期外収縮

2) Brugada症候群の修飾因子(Brugada型心電図の顕性化に寄与する可能性がある諸因子)

3)Brugada型心電図を顕性化する可能性がある薬剤

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