第11章 左脚ブロックのベクトル心電図

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1. 左脚ブロックのベクトル心電図の成り立ち
 左脚ブロックの際の心室内興奮伝播様式の変化の第1の特徴は、心室中隔興奮の進行方向の逆転である。正常の心室中隔の興奮は左・右両脚により行われ、ことに左脚からの刺激による左→右方向に進む興奮伝導が優位であるが、左脚ブロックの際には主として右脚からの刺激により右→左方向に伝播する。この中隔興奮はPurkinje系を通らずに筋性伝導により緩徐に進行する。
 左室自由壁の興奮様式には2つの考え方がある。その1つは 心室中隔筋層を横切り、左脚の障害部位よりも下方で心内膜下に達した興奮は、健全なPurkinje系に入り、その後の左室自由壁の興奮は速やかに行われるとする説である。他の説は左室自由壁の興奮も筋性伝導により緩徐に行われるとする説である。
 何れにしても左脚ブロックの際には、まず右室中隔面およびそれに隣接する右室自由壁が興奮し、合成心室ベクトルは右室心尖部、すなわち左前下方に向かう。次いで左室中隔面および隣接する左室が興奮し、左後下方に向かうベクトルを作り、左室側壁の興奮は最も遅れて左後上(または下)方に向かうべくとるを作る。

2.左脚ブロックのベクトル心電図の特徴
 左脚ブロックのベクトル心電図の特徴は次の如くである。
   1) 水平面図QRS環の時針式回転(または8字型回転)、
   2) QRS環中央部から後半にかけての刻時点の密集(いわゆる伝導遅延所見)、
   3) 最大QRSベクトルの左後方への偏位、
   4) 右前方に向かう大きいSTベクトル、
   5) T環の右前方への偏位とQRS−Tベクトル夾角の拡大。

3.左脚ブロックのベクトル心電図の実例
 左脚ブロックの際の各投影面におけるベクトル心電図の特徴は次の如くである。
 
水平面図: QRS環の時針式または8字型回転を特徴とするが、時には複雑な形を示す場合がある。QRS環起始部は左前方に向かい、直ちに鋭く後方に転じ、最大QRSベクトルは大きさを増して左後方に向かう。終末部は左後方からSTベクトルに移行する。
 
左側面図: QRS環は反時針式または8字型に回転する。QRS環起始部は前下(または前上)方に向かうが、直ちに後下方に転じて後下(上)方の最大QRSベクトルに達し、左上方からST部に移行する。
 
前面図: QRS環の回転方向は反時針式である。QRS環起始部は左下方に向かい、左下(または上)方の最大QRSベクトルに達し、左上方からST部に移行する。
 STベクトル:通常open QRS loopを示し、右前(下)方に向かう大きいSTベクトルを作る。
 
T環:3投影面共に反時針式回転を示すことが多い。右前下(または上)方に向かい、幅広い丸い形を示すことが多く、QRS−Tベクトル夾角は180度近く拡大する。

 下図(A)は58歳、虚血性心疾患のベクトル心電図で、典型的な完全左脚ブロック所見を示す。
 水平面図QRS環は8字型を示し、末梢の大きい部分は時針式に回転している。前面図QRS環は反時針式に回転し、最大QRSベクトルは左後下方にある。前・側面図ではopen QRS loop を示し、STベクトルは右上(前)方に向かう。T環は軽度に変形して右前上方に向かい、QRS−Tベクトル夾角は著しく拡大している。3投影面共にQRS環は全体的に刻時点の密集を示し、ことに求心脚に著しい。

完全左脚ブロックのベクトル心電図

 下図(B)は71歳、虚血性心疾患のベクトル心電図で、完全左脚ブロックに典型的所見を示す。
 水平面図QRS環は8字型を示し、末梢部の大きい環は時針式に回転する。QRS環起始部は直ちに左前方に向かい、中隔ベクトルの進行方向は逆転している。最大QRSベクトルの後方偏位が著しい。QRS環の刻時点密集を全経過にわたって認める。T環は右前(下)方に進み、QRS−Tベクトル夾角は拡大している。

完全左脚ブロックのベクトル心電図

 下図(C)も完全左脚ブロックのベクトル心電図の1例である。
 水平面図QRS環は8字型に回転し、QRS環近位部はわずかに左前方に向かった後、鋭角的に屈曲して左後方に転じ、QRS環全体として左後方に描かれている。最大QRSベクトルは著しく左後方に偏位する。3投影面共にQRS環全体に刻時点の密集があり、ことに後半で著しい。QRS環は3投影面共に8字型で、open QRS 環を示し、右前下方に向かうSTベクトルを作っている。T環は変形し、右前下方に向かい、QRS−Tベクトル夾角は拡大している。 

完全左脚ブロックのベクトル心電図

4.不完全左脚ブロックのベクトル心電図
  不完全左脚ブロックのベクトル心電図所見は完全左脚ブロックのそれに似るが、刻時点の密集は完全左脚ブロックのように著しくない。不完全左脚ブロックのベクトル心電図の特徴を挙げると次の如くである。
   1) 水平面図QRS環の8字型回転(遠位部は時針式)または時針式回転
   2) QRS環起始部は左前(下)方に向かう(中隔興奮によるベクトルの方向の逆転)。
   3) QRS環の刻時点密集は著しくなく、ほとんど認められないか、遠心脚に軽度に認める程度である。
   4) QRS環主部および最大QRSベクトルは著しく左後方に向かい、最大QRSベクトルの大きさを増す。
   5) T環およびSTベクトルは右前方に向かい、QRS−Tベクトル夾角は拡大する。
   6) 前面図および左側面図のQRS環は反時針式に回転する例が多い。QRS環終末部は左後上方から原点に帰る。

 下図(D)は、不完全左脚ブロックの1例のベクトル心電図を示す(虚血性心疾患、45歳、男性)。本例は、運動負荷試験により容易に頻脈依存性完全左脚ブロックを生じた。

不完全左脚ブロックのベクトル心電図

 上図(D)において水平面図QRS環は8字型回転を示し、QRS環起始部に刻時点の密集がある。QRS環起始部は左側面図および前面図に見るように、まず左前下方に向かい、心室中隔興奮の方向が逆転している(正常は右前方に向かう)。前面図QRS環は反時針式に回転し、左側面図・水平面図に見るように最大QRSベクトルは著しく左後方に偏位している。T環は前方に偏位し、QRS−Tベクトル夾角は拡大している。

〔付〕 不完全左脚ブロックについての最近の考え方
 心電図波形が完全左脚ブロックに類似するが、QRS間隔が0.12秒以下のものを、従来、「不完全左脚ブロック」と呼んできた。しかしながら、左脚分枝ブロックの概念が明確になると共に、不完全左脚ブロックという言葉はあまり用いられなくなり、左脚前枝ブロックないし左脚後枝ブロックという表現が用いられるようになってきた。

5.左脚前枝ブロックのベクトル心電図
  
1) 左室伝導系
  Rosenbaumは、左室伝導系は下図のように左脚前枝および左脚後枝の2本の脚枝(fascicles)からなるとし、その何れか一方の伝導障害をヘミブロック(hemiblock)と呼んだ。

心室伝導系(Rosenbaum)

  2) 左脚前枝ブロックの際の心室内興奮伝播の特異性と特徴的ベクトル心電図所見形成の機序
   左脚前枝および後枝は末梢で密なnet wokを形成している。そのため左脚前枝ブロックが起こると、その支配領域心筋は左脚後枝からの刺激により興奮する。したがってQRS間隔の著しい延長は起こらず、QRS環終期ベクトルは上方に向かい、前面図QRS環は反時針式に回転して著しく挙上し、QRS環全体として上方区画に含まれるようになる。下図は左脚前枝ブロックの際の心室内興奮伝播過程の特徴を示す模型図である。

左脚前枝ブロック時の心起電力変化の特徴
R:右手、L:左手、F:左足,AVN:房室結節、
HB:ヒス束、LAF:左脚前枝、LPF:左脚後枝、
T,V:T、V誘導

  3) 左脚前枝ブロックのベクトル心電図所見
    (1) Kulbertusらの基準
       1.幅が広い前面図QRS環、
       2.前面図QRS環の反時針式回転、
       3.QRS環初期ベクトルは前下方に、主ベクトルは左後上方に向かう。
    (2) Benchimolらの基準
       1.前面図
         1) QRS環の反時針式回転、
         2) QRS環の主領域は上方区画にあり、最大および平均QRSベクトルは左上または右上区画にある。
      2.左側面図
        1) QRS環の反時針式回転、
        2) 最大QRSベクトルは後上方に偏位する。

  4) 左脚前枝ブロックのベクトル心電図の実例
  下図(E)は左脚前枝ブロックのベクトル心電図の実例を示す。左脚前枝ブロックの特徴的所見は前面図に認められる。QRS環起始部はわずかに右下方に出て直ちに左側方に向かい、反時針式に回転してQRS環主部は上方区画に含まれる。T環は小さく、心筋虚血が合併している。
  ベクトル心電図診断: 左脚前枝ブロック、心筋虚血。

左脚前枝ブロックのベクトル心電図

 左脚前枝ブロックの存在は、器質的左室心筋障害の存在を示す所見として臨床上重要である。したがって左脚前枝ブロックは、高血圧、虚血性心疾患、心筋梗塞などに合併する場合が多い。

 下図は前壁梗塞に合併した左脚前枝ブロック例の標準誘導心電図(F)およびベクトル心電図(G)である。

前壁梗塞+左脚前枝ブロックのベクトル心電図

  標準誘導心電図(F)では、QRS軸が著しい左軸偏位を示す(左脚前枝ブロック)。V1,2でR波の振幅が小さく、V3のQRS波はQS型を示す(前壁梗塞)。左側胸部誘導(V5,6)のR波の振幅が低く、側壁起電力も減少している。V1のP波は二相性で、陰性相の幅が広く、左房負荷がある。
  
ベクトル心電図(G)では、前面図QRS環初期ベクトルは右下方にでて反時針式に回り、QRS環主部は左上方区画に描かれている。左側面図においてもQRS環の上方挙上が著しい。T環は左前下方に向かう。心筋梗塞の特徴は水平面図QRS環に認められる。水平面図QRS環は細長く描かれ多少分かり難いが、QRS環初期ベクトルは少し右前方に向かった後、直ちに後方に向かい、左側方凹のQRS環の変形を示す(前側方からの梗塞ベクトルによる圧迫、前壁梗塞)。QRS環主部は全体的に左後方区画に含まれている。
 ベクトル心電図診断:前壁梗塞、左脚前枝ブロック。

6.左脚後枝ブロックのベクトル心電図
  
1) 左脚後枝ブロックの標準誘導心電図所見
    左脚後枝ブロックは、右室肥大、垂直位心を除外できる例において、下記の基準を共に満たす場合に診断する。
     (1) QRS軸が+120度以上の右軸偏位を示す。
     (2) STV型:T誘導に深いS波があり、V誘導にq波がある。
     (3) QRS間隔<0.12秒。

  2) 左脚後枝ブロック時の心室興奮の進行と前面図QRS環の描かれ方
    下図は左脚後枝ブロックの際の心室興奮の進行とベクトル心電図前面図QRS環の描かれ方との相互関係を示す。左脚後枝ブロックの際には、右下方に向かう心起電力の形成に関与する心室中隔および左室後下部への興奮到達が遅延するため、前面図QRS環は右下方に大きく偏位する。

左脚後枝ブロック時の心室興奮の進行と前面図QRS環の描かれ方(Benchimol,A,Desser,KB:The Frank Vectorcardiogram in left posterior hemiblcok. J. Electrocardiology 4(2):129-136,1971)

  3) 左脚後枝ブロックの際の心室内興奮伝播の特異性と特徴的ベクトル心電図所見形成の機序
    左脚前枝および後枝は末梢で密な netwokを形成している。そのため左脚後枝ブロックの際には、その支配領域心筋は左脚前枝からの刺激により興奮する。そのためQRS間隔の著しい延長は起こらず、QRS環終期ベクトルは右下方に向かう。前面図QRS環は時針式に回転して著しく右方に向かい、QRS環主部は右下方区画に含まれるようになる。

   下図は左脚後枝ブロックの際の心室内興奮伝播過程の特徴を示す模型図である。左脚後枝ブロックがあると、後枝支配領域の心筋は左脚前枝からの刺激により興奮する。この興奮によるベクトルは右下方に向かうため、QRS環は著しく上右方に偏位し、QRS環は時針式に回転しQRS環主部は右下方区画に描かれる。

 左脚後枝ブロック時の心起電力
 変化の特徴

 

 R:右手、L:左手、F:左足,
 AVN:房室結節、HB:ヒス束、
 LAF:左脚前枝、LPF:左脚後枝、
 T,V:T、V誘導。

  4) 左脚後枝ブロックのベクトル心電図所見
   Benchimolらは左脚後枝ブロックのベクトル心電図所見として下記の所見を挙げている。しかし、これらの所見は肺気腫、右室肥大の際にも見る場合があるため注意を要する。
    (1) 前面図:
      1.QRS環は時針式に回転する。
      2.最大および平均QRSベクトルは右下方にある。
      3.QRS環の刻時点の密集は60msec以後に見る。
      4.初期10〜20msecベクトルは左上方に向かう。
    (2) 側面図
      1.QRS環は反時針式または8字型回転を示す。
      2.最大QRSベクトルは下後方に偏位する。
      3.QRS環の刻時点密集は終末部40msecにみる。

  5) 左脚後枝ブロックのベクトル心電図の実例
   下図は左脚後枝ブロックのベクトル心電図である(高血圧、糖尿病、66歳、男性)。
   前面図QRS最大ベクトルは右下方に向かい時針式に回転している。水平面図QRS環は反時針式に回り、最大QRSベクトルは右後方に向かう。QRS環終末部に軽度の伝導遅延(刻時点の密集)を認める。

左脚後枝ブロックのベクトル心電図

7.左脚中隔枝ブロックのベクトル心電図 
 
1) 左室伝導系三枝説と左脚中隔枝
   Rosenbaumは左室伝導系を左脚前枝および左脚後枝の2枝からなるとし(2枝説)、その何れかの傷害があると前額面における軸偏位を特徴とする特有の心電図所見を示すとして「ヘミブロック(hemiblock)」の概念を提唱した。しかし左室伝導系については、Rosenbaumらの考えとは異なり、3本の脚枝(前枝、後枝、中隔枝)からなるとする説(三枝説)あるいは扇状に分布するとの説(扇状分布説)などがある。下図は左脚三枝説および扇状分布説による左室伝導系を模型的に示す.

 

左脚三枝説(左)と扇状分布説(右)

 注意すべきことは、左室伝導系が扇状分布を示すとしても、左室心内膜面における最早期興奮部位は下図に示す3カ所で、これらの部は左脚前枝、後枝および中隔枝の支配領域に相当する(下右図)。これらの左室心内膜面の最早期興奮部位の内、左方の赤く塗った部位は左脚前枝、中央部は左脚中隔枝、右方は左脚後枝の支配領域に相当する。したがって、左室伝導系については、扇状分布説の立場に立つとしても、実質上は左脚前枝、後枝および中隔枝の3枝からなると見なすことが出来る。

左室心内膜最早期興奮部位 (Durrer)

  2) 左脚中隔枝ブロックのベクトル心電図所見の出現機序
   下図は左脚中隔枝ブロックの際に特徴的ベクトル心電図所見の成立機序を示す模型図である。左脚中隔枝ブロックがあると、中隔枝支配領域心筋は左脚前枝および後枝からの刺激により興奮する。この興奮によるベクトルは心尖部方向、すなわち前方に向かうためQRS環は著しく前方に偏位する。

左脚中隔枝ブロック時の心起電力
 変化の特徴

 
 R:右手、L:左手、F:左足,
 AVN:房室結節、HB:ヒス束、
 LAF:左脚前枝、LPF:左脚後枝、
 T,V:T、V誘導。

 左脚中隔枝は、心室中隔左室面において前乳頭筋と後乳頭筋の間を通って心室中隔下部および心尖部に分布する。もしも中隔枝を通る興奮伝導が障害されると、左脚分枝系は末梢で密なnetwork を形成しているため、前枝ないし後枝からの刺激により中隔枝支配領域の心筋は興奮し、その結果、前方に向かう心起電力ベクトルを生じる。すなわち左脚中隔枝ブロックの際には横断面におけるQRS軸の変化を生じ、QRS環の前方偏位を起こす。

 3) 左脚中隔枝ブロックのベクトル心電図の実例
   下図は、86歳、男性のベクトル心電図である。水平面図および左側面図において著明なQRS環の前方偏位を認める。本例は急死ししたため剖検を行い、心臓刺激伝導系の連続切片標本を作製し、左脚中隔枝領域に広汎な線維化を認めた。

左脚中隔枝ブロックのベクトル心電図(86歳、男性)
左:水平面図、中央:前面図、右:左側面図

 下図は本例の左脚中隔枝の組織像を示す。著明な線維化を認め、特殊心筋は結合組織に置換されている。

本例の左脚中隔枝の組織像

 下図は56歳、女性の左脚中隔枝ブロック例のベクトル心電図である。特徴的所見は水平面図および左側面図に認められ、QRS環全体として著しく前方に偏位している(QRS環前方偏位、prominent anterior QRS force)。前面図QRS環は8字型回転を示す。このようなQRS環の著明な前方偏位が左脚中隔枝ブロックの特徴的ベクトル心電図所見である。QRS環の刻時点密集は認めない。

左脚中隔枝ブロック のpベクトル心電図 (56歳、女性 )

  4) 左脚中隔枝ブロックのベクトル心電図診断基準
  正常群のベクトル心電図所見を参考にして下記のような左脚中隔枝ブロック診断基準を作成した。

  右室肥大、右脚ブロック、WPW症候群(A型)、高位後壁梗塞が除外できる例において、下記の2項目の内、何れか1項目を満たせば左脚中隔枝ブロックと診断する。
    (1) 水平面図の最大QRSベクトルの方向が+30度以上で、かつ前方成分と後方成分の面積比が2以上、
    (2) 水平面図の最大QRSベクトルが+45度以上。

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