卯建の町並み:美馬市脇町南町筋 |
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徳島県美馬市脇町は、徳島県を東西に貫流する吉野川の中流に位置する古い城下町です。下図にその位置を示します。
江戸時代から藍の集散地として栄え、吉野川の水利を利用して、藍の仲買を業とする大商人達の家々が吉野川筋に並行して位置する南町に軒を並べて大いに繁栄しました。これらの豪商達は、二階建ての立派な家を建て、二階と一階との間で、隣家との境界部には「卯建(うだつ)」という白壁の防火壁を作り、これに立派な装飾を付けた瓦を張り、御互いに権勢を競い合いました。
すなわち、卯建があるということは。「二階建ての瓦葺きの立派な家がある」ことを意味し、資産家の象徴であったわけです。そのため、一向に出世せず、まとまった財産が出来ないような人々のことを「うだつが上がらない人」と表現されるようになりました。私の先祖は立派に「うだつ」が上がっていたわけです。現在の私は、あまり「うだつ」が上がっているとは言えませんがーーーー。
この卯建を持った家々が軒を並べているために、吉野川に並行して走る南町筋は、國の「重要伝統的建築群」の指定を受けました。産業としての「藍」は、化学染料の発達に押され、地元に有力な産業がないために若者が都市部に流出し、脇町も多くの徳島県の他の町村と同様に過疎地の悩みを持っていますが、明石大橋の開通と共に、下図のように多くの観光客が訪れるようになりました。
卯建が上がった森 家の前を通る観光客 | 卯建の拡大図(森家) |
森家(西より眺めた写真) | 森家(秋祭りでライトアツプした夜景) |
この町筋の南側は、畠を隔てて吉野川の清流が流れており、山田洋次監督の名作「虹をつかむ男」の一画面に出てきた吉野川にかかった潜水橋があり、叙情的な風景を演出しています。戦前には岡田式の渡船がこの間を往復して穴吹町三島と脇町を連絡していました。三島在住の脇町中学(旧制)の生徒達はこの渡船に乗って吉野川を渡り、5年間通学していました。この映画に出てきたオデオン座(映画館)、(旧脇町劇場)、カサブランカ(喫茶店)(田岡旅館)などもあり、観光客が多く来るようになりましたので、従来はなかった御土産店なども次々と新しく開店しております。
卯建の並ぶ町並み | 南町随一の旧家:吉田家 | 町並みで最も風格がある大塚家 |
南町 茶の子町通り | 中町通 | 中町通に面した森家裏門 |
南町通り(右は森家) | 吉田家(旧称さなお)の裏門 | 隣家との境界の露路 |
徳島県美馬郡脇町は卯建(うだつ)を備えた家々が軒を連ねる「卯建の町並み」が特徴的です。従って、町のいろんな建物に「卯建」を取り入れた建築物が多くあります。これらの建築物は近代的な建築様式に古い建築様式である「うだつ」がうまく調和し、興味深い雰囲気を醸し出しています。以下に、脇町に見られるそのような「卯建」を備えた最近の建築物を示します。
脇町中学校 | 脇町うだつ郵便局 | スーパーマーケツト「パルシ−」 |
卯建があがった阿波銀行 脇町支店 |
脇町立図書館 | 脇町立図書館 |
ツアーで中国雲南省昆明市近郊を訪れた際、立派な卯建(うだつ)を備えた家々を認め、これが脇町の卯建のルーツではないかとの印象を受け、数枚の写真を写してきましたので、それらを下図に示します。同様のことは香川医大 松尾裕英名誉教授からも御教示頂きました。松尾名誉教授が学会出席のため中国雲南省昆明市を訪れられた際に撮影された写真も御示しします。これらの一連の写真は、脇町の卯建の由来が、中国にあることを示唆しており、大変、興味深く思います。
中国雲南省昆明市近郊の家々で見られた卯建-----これが脇町の卯建のルートである可能性が高い。 |
中国雲南省昆明市近郊で見られた美しい卯建(右図は香川医大松尾名誉教授撮影) |
徳島県美馬郡脇町は、吉野川に沿った美しい町で、歴史と伝統に彩られた町でもあります。脇町の風物については下のリンクを御利用下さい。
大谷川、南橋、土手の柳、ゲレーデの堰 |
オデオン座、カサブランカ |
吉野川、潜水橋 |
秋葉神社,脇人神社、脇城跡、八幡神社 |
御輿、将棋名人平田五平墓,最明寺、旧長岡邸 |
洋蘭のパラダイス:あんみつ館(河野メリクロン) |
脇町指定文化財:吉田家住宅「藍商左直」 |
森家写真集 |
森医院写真集 |