第15章 冠不全・心筋虚血のベクトル心電図

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1.冠不全、心筋虚血,心筋障害,心筋傷害などの概念
  冠不全 (coronary insufficiency) とは、冠動脈を介して心筋に与えられる酸素の供給と心筋における酸素の需要との不均衡により、心筋への酸素供給が不足している状態をいう。
 冠不全は次のように2つに分類される。  

  1)絶対的冠不全:冠動脈を介して心筋に与えられる酸素の絶対量が不足した状態をいい、冠動脈硬化、冠動脈炎、冠動脈入口部狭窄(大動脈梅毒、大動脈炎など)などがこれに属する。
  2)相対的冠不全:冠動脈を介する酸素供給の絶対量の不足はないが、心筋における酸素消費が亢進し、そのために心筋が酸素不足に陥った状態をいう(運動、発熱、甲状腺機能亢進症、交感神経緊張亢進状態など)。
  3) 両者の合併

 何れにしても冠不全が起こると心筋への酸素供給が不足するため心筋は虚血に陥り、その結果として心筋が傷害を受け,心筋障害がおこる。このように、冠不全、心筋虚血、心筋傷害、心筋障害などの表現は、互いに密接な関連を持ち、相互を厳密に区別することは出来ない。従って、これらの言葉はほぼ同義的に用いられている。    
 他方、心電図からの冠不全、心筋虚血の診断は、主としてST-T部の異常に基づいて診断されるため、これらを心電図的な概念に限定して「非特異的ST−T変化(nonspecific ST-T changes)」と呼ぶ方が妥当であるとする一部の心電図研究者の意見もある。非特異的(nonspecific) というのは、原因が明らかなST−T変化に対応して使用する。

 原因が明らかな特徴的なST−T異常としては下記のような場合がある。
  (1) 心筋梗塞の際のST異常、冠性T波:R波下降脚の途中から始まる上方凸のST上昇(high take off)、左右対称的な深い陰性T波、
  (2) 心室肥大時のST−T変化:上方凸のST低下、−/+型T波,U波増高を示し、ローラーコースター様のST−T変化を示す。
  (3) ジギタリス心電図:盆地状ST低下、QT間隔短縮、PR間隔延長、徐脈、
  (4) 電解質異常):低K血症ではT波平低化、陰性化,U波増高,QT-U間隔延長。 

2.冠不全のベクトル心電図所見
  冠不全のベクトル心電図所見としては、open QRS環、T環の異常(最大Tベクトルの大きさ、方向、回転方向、形態の異常)、QRS−Tベクトル夾角の拡大、QRS/T比増大などがある。

  1) Open QRS環
    QRS環が原点に帰らずにT環に移行する所見をいう。QRS環終末部でベクトル環描記速度が突然急激に低下する部位とベクトル心電図原点を結んだ線をSTベクトル(Jベクトル)と呼ぶ。正常例でもSTベクトルを認めるが、この際のSTベクトルの偏位の方向は左前下方に向かう。冠不全の際のSTベクトルは右後方に向かう例が多い。

  2) T環の異常:T環の異常には、最大Tベクトルの大きさ・方向、T環の回転方向・形態の異常がある。       
   (1) 最大Tベクトルの大きさ, 角度の異常 
     下表は最大Tベクトルの大きさと方向の正常値を示す (499例)。

/ 水平面図 前面図 左側面図
大きさ 方向 大きさ 方向 大きさ 方向
平均 0.46 31 0.51 45 0.43 120
標準偏差 0.19 22 0.19 14 0.17 28
95%下界値 0.14 0 0.18 15 0.16 49
95%上界値 0.95 68 0.93 73 0.83 162

      下表はQRS−T夾角およびT/QRS比の正常値を示す(499例)。

/ QRS−T夾角 T/QRS比
水平面図 前面図 側面図 水平面図 前面図 側面図
平均 60 1 62 0.38 0.34 0.36
標準偏差 45 13 41 0.14 0.15 0.15
95%下界値 −1 −26 −4 0.14 0.14 0.13
95%上界値 138 28 142 0.69 0.65 0.74

   正常T環は左前(下)方、若年者では時に左後方に向かう。下表はT環の方向と心筋虚血部との関係を示す。

T環の方向 臨床的意義
右方 側壁虚血
著しく前方に向かう場合 後壁虚血
著しく後方に向かう場合 前壁虚血
著しく上方に向かう場合 下壁虚血

  (2) T環の形態の異常
   冠不全時には、T環はしばしば変形する。幅が広くなったT環はwideT loop と呼び、通常、Lm/Wm比でT環の幅の広さ(丸さ)を表現する。Lm/Wm比は3投影面中最も大きいT環の長径(Lm)と最も幅が広いT環の幅径(Wm)の比で表す。この値が2.5以下の場合をwide T loopと呼び、冠不全、心室肥大、脚ブロック、心筋梗塞などの際に認める。T環の変形はopen QRS loopに合併する場合が多い。

  (3) T環の回転方向の異常
   正常T環の回転方向は、前面図では一定しないが、水平面図、左側面図では常に反時針式回転を示す。もし、これらの投影面でT環が時針式回転を示す場合は異常所見であり、冠不全、心室肥大、心室内伝導障害などによる再分極異常による。

3.冠不全ベクトル心電図の実例
  下図(A)は虚血性心疾患(56歳、男性)のベクトル心電図である。QRS環に著変はないが、T環は3投影面共に小さく、QRS/T比が大きい。側面図でT環は丸味を帯びている。
 ベクトル心電図診断:心筋虚血

虚血性心疾患(56歳、男性)のベクトル心電図

 下図(B)は狭心症例のベクトル心電図である。前面図QRS環は反時針式に回転し、左室肥大がある。水平面図でT環は後方に偏位し、側面図T環は幅が広くなっている(wide T loop).
 ベクトル心電図診断:左室肥大、心筋虚血(前壁虚血)。


狭心症のベクトル心電図(76歳、男性)

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