第1132例 間欠的左脚ブロック例に認めた心臓メモリー(Engel TR)

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 今回は文献から引用した心電図を示します。本例は間欠的左脚ブロック例で、添付file-1は脚ブロックがない正常伝導時の心電図です。また添付file-2は、この例が完全左脚ブロックを起こした時点の心電図です。更に添付file-3は、完全左脚ブロック状態が一次的に解消し、正常伝導に復した時点の心電図です。

図1 脚ブロックがない正常伝導時の心電図

図2 完全左脚ブロック時の心電図

図3 左脚ブロック状態を解消し,正常心室内伝導状態に復した際の心電図

 この図3の心電図では、V1-4に左右対称的で、深い陰性が認められ、丁度 冠性T波(coronary T wave)と呼ぶような形態を示すT波が出現しています。 この間、虚血性心疾患を疑わせるような胸痛発作は認められていません。 果たして、図3に示す陰性T波は心筋虚血の表現と見なすべき所見でしょうか?
 (Engel TR, Shah R et al: Ann Int Med 1978;89;204-206)
 

解説

 図1は間欠的左脚ブロック発症前の正常心室内伝導を示していた時点で記録された心電図です。リズムは洞調律、QRS軸は正常軸で、P,QRS、ST部およびT波に異常がなく,正常心電図所見を示しています。 図2は本例が完全左脚ブロックの心電図所見を示した時点の心電図です。QRS間隔≧0.12秒と延長し,心電図波形は完全左脚ブロックに典型的所見を示しています。図3は、図2の記録の3ヵ月後に記録した心電図で、QRS間隔は0.08秒~0.10秒と短縮し,完全左脚ブロック所見は消失し,正常心室内興奮伝導に復しています。この心電図で注目するべき所見はV1-4 の深い陰性T波で、左右対称的な深い陰性T波で、急性心筋梗塞症や急性心筋虚血の際に見るいわゆる冠性T波(coronary T wave)の所見を示しており、添付file2-3の記録の間に,何らかの急性心筋虚血発作が出現したのではないかということを強く疑わせます。果たして、本例でそのような急性心筋虚血が出現したのでしょうか?病歴にはこの間に心筋虚血を思わせるような発作は全く出現していません。

 このような奇妙なT波の変化が間欠的左脚ブロック例や右室べーシング例などで出現することがかなり古くから知られており, その機序としていわゆるcardiac
memory(心臓性記憶)という仮説が提示され、広く心電図研究者の関心を集めています。Engelら(1978)は、この問題を検討するために166例の完全左脚ブロック例の心電図の経時的記録を検討し, 内46例(27.7%)が間欠的左脚ブロック例であることを認め、これらの間欠的左脚ブロックれいにおける非完全左脚ブロック時、すなわち正常心室内伝導時の心電図について検討し、33例(71.7%)では正常伝導時に記録した心電図の前壁中隔領域で記録した心電図に深い陰性T波を認めたことを報告しています。

 Engelらは、これらの33例での臨床的検討結果から、17例(51.5%)では虚血性心疾患を認めず, 内5例では冠動脈造影所見は正常であったことを報告しています。彼らは現象の原因として、右室ペーシング時に見る一過性陰性T波との類似性を指摘しています。このような現象は間欠的左脚ブロック屋右室ペーシング例のみで認められるのではなく、下記の諸病態でも認められることが明らかになり、これらは異所性刺激による 心臓内興奮伝播過程の変化が、その人の心臓に記憶され、原因(左脚ブロック、右室ペー心がなど)消失後にも,その記憶に従う形で心臓の興奮伝達異常が起こるとの考えから、包括的概念としてcardiac memory (心臓メモリー)と呼ばれています。

 cardiac memoryを起こす状態には以下の諸病態があります。 
  1) ペースメーカー植えこみ後、自己リズムに復した際。
  2) 発作性上室頻拍停止後に洞リズムに復帰した際
  3) WPW症候群のablation治療により正常房室伝導に復した際、
  4) 一過性脚ブロックが正常心室伝導に復した際、など。

 一般的に、cardiac memoryの表現としての異常なST-T変化の持続期間は、異常な心室興奮の持続期間に依存すると言われていますが、両者間には必ずしも平行関連はないようです。cardiac memoryによるST-T変化の成因は、機能的なものであるとする考えが主流です。 上記の1)-4)のような諸種の心臓興奮伝播過程の変化が、心室興奮過程のリモデリング を起こすことによるとの考え方が有力で、その詳細な機序についての分子レベルにおける検討が目下進められています。

 この現象が臨床的に重要であるのは、このような心電図変化が認められた際に,虚血性心疾患の合併を疑い,不必要な検査や治療が行われたり、患者に不安を与えるような説明がなされる可能性があることです。cardiac memoryによるST-T変化と心筋虚血によるST-T変化を鑑別する方法として、Shvlkinら(Circulation 2005;111,969-974)は、下記の3項目を満たす場合をcardiac memoryによるとした場合の心筋虚血との鑑別の感度は92%、特異度は100%であると報告しています。
 1) aVLが陽性T波を示す。
 2) 第1誘導のT波が陽性ないし平坦。
 3) 最大の陰性T波>第3誘導の陰性T波

 Engelらの報告は,左脚ブロックの中で間欠的左脚ブロックの頻度は28%(46/166)と高率です。左脚ブロックの頻度は完全右脚ブロックや,左脚前肢ブロックに比べてそれほど頻度が多い心電図所見ではありませんが、もし左脚ブロック例を経験されたら、経過を追って心電図検査を行い,[心臓メモリー(cardiac memory)]所見の出現の有無を追求することは興味深いことであると思います。

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