第1114例 高度第1度AV-block、慢性RV拡張期負荷(IRBBB),両房負荷、著明なCW回転

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症例:11歳、男児
主訴:心雑音、労作時呼吸困難
病歴:学校の身体検査で, いつも心雑音を指摘される。最近、労作時に息切れを強く感じるようになったので、精査を求めて来院した。幼少時から風邪にかかりやすい。下図は本例の標準肢誘導のロングストリップ記録(不整脈診断用)と標準12誘導心電図である。本例の心電図診断は?また最も可能性が高いと推測される疾患はどのようなものか?
 
標準肢誘導心電図

標準12誘導心電図 

解説
 下図(1)に標準肢誘導心電図の解説図を示します。心房頻度77/分の正常洞リズムで。QRS軸は右軸偏位傾向を示しています。この心電図で目を惹くのは下記の諸所見です。
 1) 第2,3誘導でP波が高く、かつ先鋭である。
 2) P波にすぐ引き続いて浅く、幅が広い陰性波を認める。
 3) V1のQRS波がrSR'波形を示す。
 4) 第2,3,V4-6誘導にST低下がある。
 5) 1-4のT波は陰性であることが推測される。

  これらの内、1)の所見は右房負荷を示しています(かなり高度)。2)の所見はP波の直後から始まっており、幅が広く,心房性T波(Ta波、atrial Twave)
と呼ばれる所見です。P波は心室群ではQRS波に対応し、心房筋の興奮(脱分極)により形成されます。心室群にQRS波とT波があるように、心房波についても脱分極(P波、心房筋の興奮過程の表現)と再分極(T波、興奮消退過程の表現)の波があるはずです。本例のP波に続く幅が広い陰性波(第2,3誘導)はこの心房性T波です。

 心室興奮については、正常例ではQRS波が上向きであれば、T波も上向きです。しかし、本例のP波は上向きですが、Ta波は下向きです。その理由は以下のように説明されています。心室筋の興奮は心内膜側から始まり、心外膜束へと進行します。しかし、その興奮消退(興奮からさめる過程)は、心内膜側には強い心内圧が加わっているため心外膜側から始まり、心内膜側に進みます。すなわち,心内膜側の興奮持続時間が心外膜側の持続時間よりも長いのです。このように、心臓の部位により興奮持続時間に差があることにより生じる心起電力ベクトルを心室gradient (心室グレーディエント)と呼びます。

 本来、脱分極ベクトル(QRSベクトル)と再分極ベクトル(Tベクトル)とは大きさが等しく,方向が反対方向、すなわち180度解離した方向に向かいます(QRS-Tベクトル夾角は180度近くになる)。然るにヒト正常例の心電図では、QRS波とT波はほぼ同方向に向かい、QRS波が上向きであれば、T波も上向きに記録され、QRS-Tベクトル夾角はあまり拡大しません。このような現象が起こる機序としては、心室gradient (心室グレーディエント)の関与が考えられています。

 このように心室筋については心室garadient(gradient=傾き)がありますが、心房については、心房筋層は薄く、かつ心房内圧は心室内圧に比べると著しく低いため、心内圧が心内膜側心筋と心外膜側心筋に与える影響はほぼ同程度で,心室筋のような差がありません。従って心房筋については心房garadientは0(ゼロ)で、心房脱分極波(P波)と心房再分極波(心房性T波、Ta波)とは反対方向に向かい、P波が陽性であれば,Ta波は下向き(陰性)に描かれます。

 下図(2)はZimmermanの著書から引用した心房波(P波およびTa波)と心室波(QRS波とT波)の時間的相互関係を示します。心室群のQT間隔に相当する心房波のP-Ta間隔の平均値は360msecで、Ta波は心室波のST部とT波の移行部にまで及んでいます。そのため、正常例でもP波の高さが増大するような状況(運動負荷後、発熱時,交感神経緊張増加時)では、P波振幅の増大と共に、Ta波も振幅を増し,これが見かけのST低下を起こし,冠不全と誤って診断される場合があるため注意が必要です(冠不全所見の偽陽性)。

  下図(3)に心房性T波の混入により見かけのST低下を起こした例の心電図の実例を示します。

 下図に本例の標準12誘導心電図の解説図を示します。本例のP波は振幅が著しく高く、右房肥大所見が著明であり,何らかの先天性心疾患を基礎疾患として持っていることを示しています。V1-3のP波はT波と重なっており、波形を正確に定め難いですが、右側胸部誘導のP波は2相性で,陰性相の振幅、幅が大きく,左房負荷の合併も認められます。すなわち両房負荷所見を示しています。

 次にQRS波の所見を見ます。QRS軸は右軸偏位傾向を示しています。V1,2のQRS波形はrSR'(RSR's)を示しており、QRS間隔は0.10秒で、V5,6のS波の幅が狭く、かつスラーを認めませんので不完全右脚ブロックと診断されます。脚ブロックなどの心室内興奮伝導障害の特徴は、QRS波の描記速度が著しく低下する所見です。右脚ブロックについて言えば,QRS波の後半の振幅が低く、著しいスラーを伴います。下図(5)に正常例、完全右脚ブロックおよび本例のQRS波の空間速度心電図を示します。空間速度心電図とは、Frank誘導などのベクトル心電図構成スカラー心電図(X,Y,Z誘導)を入力として用い、演算回路を用いて、空間QRS環が描記される速度の経時変化をアナログ波形として記録したものです。

 上図に見るううに、正常例ではQRS波主部に比べて、QRS波終期部分の幅が狭く、若干速度(この場合は振幅)が低下している部分がありますが、この程度は正常所見です。他方、完全右脚ブロック例の空間速度心電図では、QRS波後半の低振幅(低速度)領域の振幅(速度)が著しく低く(興奮伝導遅延)、かつ幅が著しく広いという特徴があります。本例の空間速度心電図では、完全右脚ブロックに比べて伝導遅延をほとんど認めず、またQRS波終末部の低速度領域の振幅および幅は正常例とほぼ同程度であることが分かります。

 このように本例に見る不完全右脚ブロックは伝導障害によるもにのではありません。一般に右側胸部誘導(V1,2)にR(r)'波がある場合、画一的に不完全右脚ブロックという心電図診断がなされますが、この所見の背景には以下のような各種の病態が含まれています。
 1) 真の右脚ブロック;この場合は、S波の幅が広く,かつスラー(slur)を認めます。
 2) 右室肥大:この場合は右室肥大を起こす基礎疾患があり、QRS軸の右軸偏位、右房負荷、右側胸部誘導での陰性T波、QRS波の時計回りの回転などの、他の右室肥大所見を伴います。
 3) 高位後壁梗塞:多くの場合、下壁梗塞に合併し、V1,2でのR波増大、ST低下、左右対照的な陽性T波(高位後壁での梗塞心電図所見の相反性変化)を伴います。
 4) 正常所見;基礎疾患が無く、r'波の振幅が低く、幅が狭く、他に異常所見を認めません。これは右室基部の室上櫛(crista supraventricularis)が生理的にも最も遅く興奮し、その部の興奮がr’波として表現されるためで, crista patternと呼ばれる場合もあります。

   本例にみる不完全右脚ブロック所見は、以上の考察から右室肥大の表現と考えられます。一般的に、心室負荷は血行動態的な負荷様式により収縮期性負荷と拡張期性負荷に分けられ、多くの場合それぞれの特徴的な心電図所見を示すことが知られています。

 右室について言えば、収縮期性負荷の際の心電図所見はいわゆる右室肥大心電図所見を示し、拡張期性負荷の際には不完全(ないし完全)右脚ブロック所見を示すことが広く知られています。本例は不完全右脚ブロックですから、右室拡張期性負荷を起こす代表的疾患である心房中隔欠損症をまず考えなければなりません。

 心房中隔欠損症の際には、本来の大静脈から右心系に還流してきた血液に加えて、心房中隔欠損部を通って左房→右房への短絡血量が加わり、右室容量が拡張し、右室壁に分布する刺激伝導系が引き延ばされて興奮伝導障害を起こして右脚ブロックを生じると説明されています。他方、心房中隔欠損症の際の心電図所見は、一見、右脚ブロック様に見えるが、実は右室流出路肥大の表現であるとの意見もあります。いずれにしても、先天性心臓病で右脚ブロック(ことに不完全右脚ブロック)所見を認めた際にまず考えるべき疾患が心房中隔欠損症です。

 心房中隔欠損症には下図(6に示すようにいろんな病型があります。心房中隔欠損症は、心電図所見の立場から大きく分けると以下の2種類に分類されます
 1) 二次孔欠損型(ostium secundum type)
  2) 一次孔欠損型(ostium primum type)(心内膜床欠損、共通房室管孔を含む)

 これらの2者は,心電図では簡単な方法で容易に鑑別されます。下図(7)に二次孔型心房中隔欠損症(100例)と一次孔欠損症(おおよび共通房室管(33例)の前額面におけるQRS 軸の分布を示します。すなわち1)ではQRS軸が正常軸ないし右軸偏位を示すのに対し、2)ではQRS軸が著明な左軸偏位を示します。此の鑑別法は理論に基づくというよりも、経験に基づいていますが、添付ファイルに示すように両者をかなり正確に鑑別できる良い方法ですので、是非,記憶にとどめておいて頂きたいと思います。

 振り返って本例の前額面QRS軸の方向を見ますと、第1誘導で陽性波と陰性波との振幅がほぼ等しく,本例のQRS軸はほぼ+90度の方向に向かっており、本例では二次孔型心房中隔欠損症が最も考え易いとの結論に達します。

 なお本例ではV1-4でT波が陰性で、Tベクトルの著しい後方偏位があり、高度右室負荷の存在が推測されます。またQRS波については、V6のQRS波がなおRs型の右室心外膜型波形を示しており、左室心外膜型波形(qR,qRs型)が出現しておらず、この所見からも本例は著明な右室負荷所見を示すと考えられます。

  本例に認められる著明なPR間隔延長の正確な意義は明らかではありません。私はこれまで多くの心房中隔欠損症の心電図を見る機会がありましたが、これほど著明なPR間隔延長例の経験はありません。あるいは先天的な房室伝導系の異常(Lenegre病など)が合併している可能性を考えなけれならないと思います。従って,ホルター心電図検査、ヒス束電位図法などの心臓電気生理学的検査を実施し,ペースメーカー植え込みも視野に入れて経過観察を実施しなければならないと考えられます。

 以上から本例の心電図診断は下記のごとくなります。
  1) 正常洞リズム
  2) 高度の第1度房室ブロック(明らかな心房性T波)
  3) 不完全右脚ブロック(慢性右室拡張期性負荷)
  4) 両心房負荷
  5) 心臓長軸周りの著明な時計回りの回転
  (これらを総合して、短絡量が著しく多い二次孔型心房中隔欠損症の可能性が高い)

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