第1113例 僧帽弁狭窄症による両房負荷(拡大高速心電図による検討)

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症例;39歳、女性
病歴:学校の身体検査で心雑音を指摘されていたが、自覚症状がないので放置していた。最近、労作時の動悸と軽い息切れを感じるようになったため、
精査を求めて来院した。
診察所見:心拍数65/分の整脈で、不整脈はない。血圧110/70mmHg, 心尖部にLevine分類2度の拡張期雑音(runble)を聴取する。僧帽弁解放音+,心尖部第1音強勢。:雑音なし。第2音亢進。胸骨左縁第4肋間に2-3度の収縮規制雑音あり。
胸部X線写真:右第2弓、左第3弓凸隆。
 添付ファイルは本例の標準12誘導心電図である。この心電図の診断は,また基礎疾患の診断は?

解説
 下図(1)に本例の標準誘導心電図の解説図を示します。心拍数56/分の洞徐脈で、QRS軸は右軸偏位傾向を示しています。心室群波形については、V4,5でQRS波終了直後に低いJ波を認めますが、これらは正常所見と考えられます。それ以外には著変を認めません。PR間隔は0.16秒と正常ですが、P波の終末部を決めることは標準記録では困難です。第2誘導のP波の幅は0.12秒と拡大し(正常値0.06-0.11秒)、PR-segmentは短縮し,ほとんど認められません。V1のP波は二相性で、陰性相の幅が広く、左房負荷所見を示しています。第2誘導のP波の上行脚の傾斜度が下行脚の傾斜度よりも急峻です。この所見は右房負荷の合併を示す所見の1つです。

  下図(3)に増幅したP波の模型図(左)と正常例の第2誘導心電図のP波を通常の心電計の増幅度の16倍の高感度、記録速度を4倍(1秒に1mの速度)の高速度で記録した拡大高速記録心電図を示します。正常P波は、第2誘導では左右対照的な二等辺△の形を示します。その上行脚および下行脚の上1/3部にノッチがあり, 上行脚のそれは左房興奮の開始、下行脚のそれは右房興奮の終了を示します。これによりP波は、左から右房興奮、両心房の興奮の合成波、および左房興奮の3つの部分にわかれます。このような所見は、通常感度の記録でもある程度は認められますが、不明瞭な場合が多いです。その様な例でも、添付ファイルに示すような拡大高速記録心電図を記録するとすべての例でこのような所見を明瞭に認めることができます

 下図(3)に正常例の標準肢誘導、V1,2,5,6の拡大高速記録心電図を示します(1mV=16cm,1m/秒)。正常例のP波は,左室対応誘導(Ⅰ,V5,6)では左房成分が優位に記録され、上行脚の結節が下行脚のそれよりも振幅が高く,高位にあります。他方、右室対応誘導であるV1,2では右房興奮を反映するP波の前1/3の波が、後方1/3の波よりも高い振幅を示します。第2誘導軸は,心臓長軸に平行な誘導ですから、左房、右房の興奮は均等に表現されます従って正常例では、房興奮を表すP波上行脚のノッチと左房興奮を表すP波下行脚のノッチの両者の高さはほぼ同じレベルにあります。

 このような所見に着目することで,心房負荷を診断することが出来ます。下図(4)に正常、左房負荷および右房負荷時の第2誘導P波の結節の相互関係を示します。正常例(左図)では、上行脚と下行脚の結節の高さはほぼ同じですが,左房負荷時(中央)には下行脚の結節の位置が高くなり、P波全体で見ると,緩やかに上昇して頂点に達し, その後は急峻に基線に戻ります。このような形態を緩徐上昇P波(P wave with delayed ascent)と呼び、左房負荷時の第2誘導P波の特徴的所見です。他方、右房負荷(右図)時には、P波は急峻に上昇して頂点に達した後、緩徐に下降して基線に復します。このような第2誘導のP波の形態を急峻上昇P波(rapidly ascent P wave)と呼び、右房負荷時の特徴的所見です。本例の第2誘導P波は典型的な急峻上昇P波の所見を示しており、右房負荷があることが分かります。

 下図(5)は本例の標準肢誘導心電図の拡大高速記録心電図です。感度は標準記録の16倍、速度は4倍で記録されています。この記録では、QRS波やT波のような高振幅波は飽和しています。第1誘導は、心起電力を左方から見る誘導ですから、左房成分が強調されて記録されますが、本例では右房成分(第1の波)の振幅も高く描かれており、右房負荷も合併していると診断されます。

 下図(6)は本例の胸部誘導(V1,2,5,6)の拡大高速記録心電図です(1mV=16cm,1m/秒)。V1のP波は二相性を示し,陰性相の幅が広く、かつ陰性度が深いため左房負荷の存在が明らかです。またV1,2などの右側胸部誘導で、P波の陽性相の振幅が高く,右房負荷の合併を示唆しています。V5,6ではP波を構成する3つの波を明瞭に分離して認めることができます。この内、最初の波は右房興奮、最後の波は左房興奮、中央の波は両心房興奮の合成波です。この心電図では, 第3の波(左房興奮)の振幅が著明に高く,この所見は左房負荷を反映する所見です。

 本例の標準12誘導心電図記録(添付file-1)では、V2,3については感度を1/2仁増幅度を落として記録していますから、SV3+RaVL=16mmでCornell voltageの正常と左室肥大境界値を示していま。しかし、本例のQRS軸は右軸偏位傾向を示しており、aVLのQRS波形はほとんどQS型に近く、この誘導でのR波の振幅は著しく低く、Cornell voltage基準偽陽性例と考えられ、左室肥大の合併は考えなくとも良いと思います。

 本例の心電図所見で気になるもう1つの所見はPR-segmentの幅(時間の著しい短縮です。拡大高速記録心電図でもQRS波の起始部にデルタ波はありませんので心室早期興奮(ventricular preexcitation,WPW型心電図)は除外できます。それでは本例で、なぜPR-segmentがこのように著明に短縮しているのでしょうか?本例ではP波の幅が広く(0.11秒)、PR間隔は0.14秒ですから、PR-segmentの幅は0.03秒しかありません。最近はほとんど用いられなくなりましたが、左房負荷の心電図診断基準にMacuruz indexという診断基準があり、本例のPR-sgement短縮はこのMacruz indexの考え方で説明すると分かり易いと思いますので、以下これを説明します。下図(7)にMacruz indexによる心房負荷診断の原理を示します。右房負荷時には、右房壁に分布する房室伝導系が引き延ばされ、洞結節の興奮の房室結節への到達が遅れ、PR間隔が延長しますが、P波の幅は変化しません。すなわち右房負荷時のPR間隔延長は主にPR-segment延長により生じ,P/PR-segment比は正常値以下になります(正常値:1.0-1.6)。

 他方、左房負荷時にはP波の幅は広くなりますが、PR間隔は変化しないため、PR-segmentは短縮し、P/PR-segmet比は正常上界値(1.6)を超えるようになります。両房負荷時には右房負荷のためにPR間隔は延長し、左房負荷のためにP波の幅が広くなり,両者は相殺してP/PR-sgement比は正常範囲の値を示しますが、P波の幅、PR間隔は共に延長します。この際、P波の幅の上界値としては、<16歳では0.10秒、≧16歳では0.12秒という基準により判定します。本例のP波の幅は0.11秒、PR間隔は0.14秒、PR-segmentハ0.03秒ですからMacruzindex(P/PR-segment比)は3.67と著明に大きい値を示しており,左房負荷と診断されます。 現在、左房負荷の心電図診断に最も広く用いられているのはP-terminal force増大(Morris index)です。下図(8)はP-terminal force増大による左房負荷の心電図診断基準を示します。

 この基準はV1のP波が二相性を示し、陰性相の幅(秒)と振幅(深さ,mm)の積の絶対値が≧0.04の場合に左房負荷と診断します。この基準は偽陽性率が低く(0%に近い)、僧帽弁狭窄症での陽性率が高く(86%)、信頼性が極めて高い診断基準です。下図(9)に本例のV1のP波の計測値からMorris indexを計測する方法と得られた値を示します。本例のP terminal forceは0.066と著明に増大し、左房負荷があると診断されます。現在、Macruz indexは臨床ではほとんど用いられていませんが、本例のPR-segmentの著明な短縮を説明するのに便利なため紹介しました。

 以上をまとめますと、本例は左房負荷優位の右房負荷(両房負荷)と診断されます。著明な左房負荷を主体とし、これに右房負荷が加わ病気としては僧帽弁狭窄症以外は考えられません。本例の聴診所見、胸部X線写真なども、僧帽弁狭窄と矛盾しません。

 本例では,未だ右室肥大所見は認められていませんので、肺動脈圧はあまり高くないと思われます。しかし、右房負荷所見が出現いているため、ある程度の肺動脈平均圧の上昇も考えられ、できるだけ速やかに僧帽弁口切開術を行うことが必要な例であると考えられます。

診断:(1)著明な左房負荷
    (2)右房負荷の合併
       (3)前側方早期再分極(正常所見)
 以上の心電図所見、心臓聴診所見を合わせ考え、本例の基礎疾患は僧帽弁狭窄症です。

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