第1106例 QRS波の境界域高電圧のために左室肥大と誤診された正常心電図
症例:39歳、男性
本例は検診例で、循環器学的自覚症状は全くありません。下図は検診時に記録した心電図です(V1-6はすべて0.5mV=1cmの感度で記録)。検診施設担当医はこの心電図に対して下記のように診断しています。
1) 左室肥大(疑)
1) T波増高
本例の臨床的事項は以下のごとくです。身長171.6cm, 体重67.2kg, BMI=22.8。血圧110/70mmHg, 総コレステロール180mg/dl, LDLコレステロール101mg/dl,
HDLコレステロール72mg/dl, 中性脂肪41mg/dl, 尿酸6.2mg/dl, 空腹時血糖92mg.dl。この検診施設担当医の心電図診断は妥当でしょうか?皆様方の心電図診断は?
解説
下図に本例の心電図の解説図を示します。心拍数58/分の軽度の洞徐脈で、QRS軸は正常軸を示しています。この心電図で注意するべき点はすべての胸部誘導が感度1/2で記録されている点です。担当医は、この所見、すなわちV5についていえば振幅が32mmあるため、RV5+SV1=32+10=42mm
あり、Sokolow-Lyonの左室肥大診断基準値(≧35mm)または私の補正基準値(≧40mm)を超えており、そのために「左室肥大」と診断したものと思われます。しかしこの心電図には下記のような問題点があります。
1) 左室肥大を起こす原因となる基礎疾患の欠如
本例ではの血圧値は正常範囲内にありますし、心臓弁膜症などの左室肥大を起こす基礎疾患が全くありません。また脂質異常、耐糖能異常などの虚血性心疾患の危険因子が全くありません。
2) Cornell voltage(左室肥大の心電図診断のためにCornell大学の研究グループが提唱している電圧基準:SV3+RaVL)は、本例では12mmで、私どものCornell votage補正基準値(男性では23mm)よりもはるかに低値を示しています。
3) また左室肥大の際の心電図所見として、QRS波の高電圧以外にしばしば認められる下記の諸所見が全く認められません。
(1) 左室対応誘導でのST-T変化
(2) 左房負荷所見
(3) 左室対応誘導での陰性U波
(4) 標準肢誘導でのQRS軸の左軸偏位
(5) 胸部誘導での心臓長軸周りの時計回りの回転、など
左室肥大の心電図診断に用いられるQRS波の高電圧基準は、正常者の計測値の統計的処理により定められていますので、必然的に若干の偽陽性率(2-5%)を伴います。従って、電圧基準を用いて「左室肥大」の心電図診断をする際には、「左室肥大の基礎疾患の存在」を欠かすことが出来ません。それに加えて、上記の様なQRS波の高電圧以外の左室肥大時にしばしば認められるその他の所見の有無を参考にします。
本例では、SokolowーLyonのQRS波高電圧基準を満たしていますが、その程度はわずかであり、その他の心室肥大所見の合併を全く認めませんので、総合的に判断して「正常心電図」と診断するのが妥当であると思います。
心電図診断:正常心電図
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