第1104例 左室肥大心電図の偽陽性例(境界域QRS波高電圧)

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第1004例
症例:53歳、男性
臨床的事項:本例は人間ドック症例です。特に循環器学的愁訴はありません。身長167cm、体重66kg、BMI=23.7、 喫煙(-)、飲酒(++)。血圧120/80 mmHg, 尿正常、LGLコレステロール104mg/dl,HDLコレステロール 49mg/dl, 中性脂肪126mgd/dl。下図は健診時に記録した心電図です。健診施設担当医はこの心電図に対して左室肥大(疑)と診断しています。皆さま方の診断は?

解説
 下図に本例の標準12誘導心電図の解説図を示します。心拍数58/分の洞徐脈で、QRS軸は正常軸です。P波形、ST部、T波には異常がありません。担当医が左室肥大(疑)と診断しているように, QRS波の振幅が高い傾向が認められます。RV5+SV1=36.5mm, RV6+SV1=30+11=41mmで、Sokolow基準原値(≧35mm),森補正値(≧40mm)を越えています。しかし、QRS波の高電圧を, 左室肥大の診断に用いるためには, 高電圧所見に加えて左室肥大を起こす基礎疾患の存在が必須です。又、左室肥大の心電図診断基準としてのQRS 断基準値は, 正常分布の95%ないし98%境界値を使用していますので、必然的に若干の疑陽性を伴うことを考慮に入れる必要があります

  本例が若年者(≦30歳)ないし痩せている人であれば、この程度のQRS波の高電圧は正常所見と考えて間違いありません。しかし、本例には痩せはなく(BMI=23.7), 年齢も≧30歳(本例は53歳)です。また本例では,QRS波の振幅はV5<V6であり、このことは水平面におけるQRS最大ベクトルがより後方に向かっている可能性を示唆します。しかし、本例での胸部誘導でのQRS波の移行帯波形はV2とV3の中間にあり、心臓長軸周りの時針式回転があるとしても著明なものではなく、この所見をもって左室肥大を支持する所見であると見なすことは不適切です。

 更に最近、左室肥大の心電図診断基準として世界的に広く使用されるようになったCornell voltageは、SV3+RaVL=8mmで、左室肥大診断基準値
(≧23mm)に比べて、遙かに低い値を示しています。

 最も重要なことは、本例では下記の2点を欠如していることです。
 1) 左室肥大を起こす基礎疾患が認められない。
   高血圧、心臓弁膜症などの基礎疾患がない。
 2) 左室肥大心電図の基本的所見である下記の所見を何れも全く持っていない。
  a) 左房負荷所見
  b) ST-T変化(いわゆる左室strain所見)
   c) 陰性U波:左室肥大に伴う左室伸展を反映する所見
  d) QRS間隔の拡大傾向、左室対応誘導での心室興奮時間の延長傾向を認めない。
  e) 左室肥大時にしばしば認められるQRS波の変化を伴っていない。すなわちQRS軸の左軸偏位、心臓長軸周りの時針式回転(QRS波移行帯の左方偏位所見)などを認めない。

 以上を総合して, 本例の心電図は正常心電図と診断することが妥当であると思惟されます。

診断:正常心電図

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